ガラスペン

佐瀬工業所
佐瀬 勇

ガラスペン

先代、佐瀬米蔵と妻えんは、世界で初めてガラスペンを開発した佐々木定次郎氏の元で修業し明治45年に「カネモ印」の家号にて台東区入谷で独立。佐瀬米蔵とえんの元で佐瀬勇はガラスペン職人として修行を始める。

ガラスペンは明治35年に風鈴職人の佐々木定次郎氏によって日本で開発された。その書き味の滑らかさ、インクの持ちの良さから瞬く間にイタリア・ドイツ・フランス等、世界中に広まっていく。ガラスペンの溝の開発には、2本の溝から始まり徐々に溝の本数を増やし思考錯誤の上、日本製のガラスペンは8本の溝となる。ガラスペン製作には8本の溝があるガラス棒を均等に左右にひねり、ねじり模様を作けていく。ねじり模様を作るには左右の手を同じ速さで回し続ける技術が必要なため、1本1本丁寧に全て手作業で作られている。